をぐらや

私の家は代々、昆布屋を営んでいました。
戦前は大阪・日の出通り商店街にお店を構えていて、映画館の向かいに店を出していたそうです。私はその場所に行ったことはありませんが、いつか時間ができたら歩いてみたいと思っています。

屋号は「をぐらや」。
名前には代々「久」が入るのも小さな特徴で、私は「久勝」、祖父は「久吉」といった具合です。昔のことなので詳しくは分かりませんが、作家の山崎豊子さんが小説『暖簾』の取材で訪れたこともあったと聞きます。


「小倉屋」という名前の広がり

大阪では「小倉屋」という屋号を掲げる昆布商がいくつもありました。
代表的な例だけでも、

  • 小倉屋山本(1848年創業)
  • 小倉屋昆布食品(くらこん、1921年創業)
  • マルヤナギ小倉屋(1951年創業)
  • 戎橋筋の小倉屋(1848年創業)

といった老舗があります。
それぞれが暖簾分けや独立から始まり、今も「をぐら昆布系友会」という形でつながりを持ち、屋号を守り続けています。大阪の昆布文化を支えてきた、ひとつの系譜です。


いまの自分にとっての「をぐらや」

いまの自分にとっての「をぐらや」

祖父は戦時中に疎開して、実家のある淡路島に戻りました。戦後はその地で「をぐらや」を続けていましたが、
父は淡路島から船場に丁稚奉公に出て、呉服屋を始めました。
ですから私は、昆布屋としての「をぐらや」の暖簾を直接継いでいるわけではありません。

それでも、屋号「をぐらや」や、先代たちが大切にしてきた商いの姿勢に触れると、不思議と親近感を覚えるのです。

いつか、なんらかのかたちで「をぐらや」を現代に結び直すことができれば――。
その思いが、心のどこかで静かに息づいています。

参考:マルヤナギさんのサイトより
https://www.maruyanagi.co.jp/monozukuri/history-oguraya/?utm_source=chatgpt.com
https://www.maruyanagi.co.jp/monozukuri/history-sougyou/

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